2008年5月22日木曜日

C.Bechstein

ベヒシュタイン(または、ベッヒシュタイン、C.Bechstein)は、スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並んで、世界三大ピアノメーカーに数えられるドイツのピアノ製造会社である。


1853年、カール・ベヒシュタインによってベルリンで創業。「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、第2次世界大戦前は日本における最高のピアノの代名詞であった。ベヒシュタインについてフランツ・リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった。」クロード・ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ。」と言う言葉を残している。 また、セシル・テイラー、チック・コリアなどジャズピアニストにも度々使用され、クラシック界に留まらず、その演奏性は高く評価されている。

しかし、創業からの長い年月の中で、度重なる苦難の時代もあった。1929年、世界恐慌で打撃を受け、さらに第二次世界大戦で工場が破壊されるなど、1940年代半ばにいったん操業を停止した。また、第二次大戦中、ナチス・ドイツに協力したとして(ヒトラーはベヒシュタインを‘第三帝国のピアノ’としていた)戦後はドイツ民族のナチズムからの完全な脱却とともにその栄光の座から退いていくこととなった。1962年、アメリカのボールドウィン社の傘下に入ったものの、1986年にドイツのピアノ製造マイスターであるカール・シュルツェが経営権を買い取り、念願であったドイツ人の手に経営権が戻された。その後は資本増強を積極的に行い、1997年には株式会社へ(C. Bechstein AG)、資本増強と東西ドイツ統一と共に、ツィンマーマン(またはツィンメルマン、Zimmermann、1884年ライプツィヒで創業)、ホフマン(W. Hoffmann、1904年ベルリンで創業)のブランドを傘下に収め、ベヒシュタイングループを設立。現在に至っている。


ベヒシュタインピアノの特徴は、ひとつひとつの音が濁らない分離感、音の立ち上がりの早さにある。また音色に透明感があるので、演奏者のイメージがそのテクニックによって的確に表現できると言われている。「ピアノの音色はピアニスト自身が作り出すもの」という考えの下、ベヒシュタインピアノは完全なる中立音を目指した設計がなされている。構造的な特徴としては、ピアノの音は響板で作るというコンセプトを核として、高音部に総アグラフ式(全ての弦がアグラフと呼ばれる穴の開いたピンの中に弦を通す方式)を採用し、これによりフレーム(鉄骨)と弦を完全に分離することで金属的な雑味を無くし、立ち上がりの早いクリアな音色を実現している。こうした響き方は鉄のフレームを鳴らすというスタインウェイの豪奢なそれとは対照的である。アクションはレンナー社製を採用していたが、近年は複数の部品メーカーから各々に優れた部品を集め、ベヒシュタインブランドのアクションとしている。

近年、総アグラフ式をやめ、高音部をフレームに共鳴させ音量を確保するカポダストロバーを採用したが、今回その方式を採用したのは、あくまでも本来の音色の多様性と色彩感というコンセプトは変えずに、音に力強さを求める近年の多くのピアニストの要望と、大きなホールでのコンチェルトの演奏などにも対応できる音量を確保するためだといわれている。この変更により、コンチェルトでは高音部がオケの音にかき消されてしまうという弱点が改善された。しかし、高音部のパワーを引き出そうとすることで音の分離感をある程度犠牲にした結果となったため、往年のベヒシュタインファンの中には、この変更を嘆かわしく思っている人もいるだろう。しかし、響板やケースの張り込み方法などの変更はなく、ベヒシュタインのコンセプトである「表現力」「色彩感」「奥行き感」は現在も変わっていない。この設計変更により世界3大メーカーは3社すべてが高音部にカポダストロバーを採用したことになる。

2006年、第1回ベヒシュタイン国際ピアノコンクールがドイツで開催された。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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